救急車を見たり病院に入ったりすると、
妻の最期をどうしても思い出してしまう。
最期の会話、弱まる心電図、喋らず呼吸だけする姿。
もっと、はげましの言葉や出来る事あったのではないか。
何年経っても消えないこの思い。
でも、自分はまだ恵まれている。妻の最期を見取れたのだから。
本当はその日、義姉がお見舞いする日だったが、前日までは安定していたので、一旦福岡に帰る事となった。しかし、翌日の早朝に容体が急変し義姉が帰っている間に最期を迎えてしまった。
病室には自分だけ。家族もお医者さんや看護師さんも居ない。二人だけの空間。手をつなぎ、弱まる鼓動。白くなる顔色。見るからに血が循環していないのが分かる。絶望しか感じない。ナースコールを押しても誰も来ない。前にも書いたが、きっと最期である事を察していたのであろう。数回押してその事に気づき、ナースコールは押すのを辞めた。その分、妻の手だけを握る事に集中した。
いつも自分と義姉が交代でお見舞いしていた。(義姉は近くのホテルから)義姉はその場に居たかっただろう。適した言葉をかける事が出来なかった。今でも後悔している。もっと、しっかりと出来たのではないか。
何故自分が最期を看取ることとなったか、無理矢理理由を作るなら、最期は自分と居たかったのだと思ってくれたと信じてる。