■中学生時代
3年間ソフトテニス部でした。
小学生時代にバドミントンをやっており、道具を使った活動繋がりで選択。
一応他にも見学には行ってみた。
父親のゴリ押しで「剣道部」に行った。
楽しそうではあったが・・・。
「卓球部」には・・・行ったっけ??
「バドミントン」は最初から選択肢になかったな・・・。
最初からそこそこ上手だった記憶がある。
しかし同期の3人が上手く、遥か先を常に行っていた。
新しいラケットになるのが楽しみだった記憶がある。
色んなラケットを試してみて、自分に合うの発見したりと。
雨の日は筋トレ。
何故か筋トレは得意で、根を上げるまでやり続けるスタイルだったが、ほとんどの種目が私が最後まで続けられた。
顧問は厳しめだったが、気にならない程度。
むしろちょうど良い。
先輩の方がキツかったかも。
楽しい部活生活だった。
後輩にも恵まれ、慕ってもらった。
お隣のコートは女子ソフトテニス部。
え??
ロマンスがあるだろうって??
興味のある子はいませんでした。
当時、気になる子は吹奏楽部で遠い場所で練習しており、顔を合わせることなどなかった。
懐かしい思い出。
■高校生時代
3年間ソフトテニス部
本当は硬式テニス部に入ろうと思っていた。
しかしながら見学中の顧問が厳しすぎた。
となりのコートまでボールを打ち、そこまで追いついて打ち返す練習をしていたのだ。
確かに特訓にはなるだろうが、高校は遠いし、受験もある。
そんなに部活一筋にはなれない。
やってらんねーよ。
と思いやめた。
対してソフトテニス部は女子3年生しかいない状態。
つまり私たちが入らなければ時期に廃部になる状態。
顧問も程よい厳しさ。
ってことでソフトテニス部に決定。
女子3年生は受験勉強が本格化するまでは一緒に練習をしていた。
というか後輩に女子が入ってきても人数やコートの問題で男子女子一緒に練習。
え??
ロマンスがあっただろうって??(二回目)
あるわけなかろう。
私は硬派なので。軟式だけど。
途中からは部室も与えられ良い環境で練習出来るようになった。
しかし中学・高校通して私は問題を抱えていた。
極度の緊張しいということ。
校内戦では上位の成績を出すので市内戦とか公式戦には抜擢されるのだが、一度も勝てないのだ。
あと、一セット!というところまで行っても自分のミスで逆転されてしまう。
以前のブログで書いたが、プレゼンテーションも緊張で失敗することが多かったが、始まる前にふざけ倒すという緊張ほぐし法を発見してから克服した。
しかし競技となると難しい。
特に試合の後半になると緊張マックス。
ラケット、腕、肘、肩、腰、下半身が別々に動く。
困ったものだ。
これに関しては、未だ解決していない。
■大学生・大学院生
無所属
元々入る気などない。
バイトも夏期・冬期休暇意外はする気はない。
というかやる暇がない。
・大学1年生の時は英会話のグループワーク発表。
各部(化学、機械、情報、建築)をごちゃ混ぜにしたグループによる環境問題に関する発表会
・大学2年生の時は週に2日実験があり、その次の週には実験のレポート。
・大学3年生の時も週に2日実験、レポート。ただ慣れてきたのか少し余裕。
・大学4年生の時は研究室に配属。本格的な実験開始。
自分の研究発表と英語論文の紹介を隔週で交互に行う。
時期が後半になると卒論も作成していく。
・大学院生修士の時は大学4年生の時と大体同じだが、実験量が多いのと後輩指導がある。
また、たびたび学会に出て、ポスター発表あるいはオーラル発表を行う。
時期が後半になると修士論文を作成していく。
つまり、忙しくて大学以降は部活、サークルに集中出来なかったよ、という言い訳。
サークルに入れば、別の部との繋がりも出来て有意義きな大学生活も出来たかもしれない。
しかしながら私は勉強を選んだのだった。
それは、賞や奨学金免除、という形で結果を残したので良いとしよう。
だが別のお話。